Water Library 023

・・水のほん“Water Library ”・・・

~・~・水にときめいて・~・~

 

2017年ももう立春です。梅や水仙の香りがすがすがしいですね。函館の友人は日中まだマイナスの気温だそうで雪かきしながらがんばっているそうです。

 

さて、本書の著者中西進さんは1926年東京生まれです。本書「古代日本人・心の宇宙」は、NHKテレビの人間大学で講義された時のテキストを補筆して出版されました。古代日本人がどのように考え、自分たちの宇宙をどのようなものとして納得していたかを、この本で語ろうとしています。

 

古代をとりあげるのは、古代がとても普遍的だからと中西先生は書いています。

日本は独自の文化として現在世界の中に位置づけられているようですが、歴史をさかのぼると、古代には、全世界的な普遍性がみられ、古代日本人の宇宙観が世界的にきわめて類似性が高いことがわかります。

それを指摘することにより、古代の日本文化を世界の仲間にしてもらう、古代の日本文化の普遍性を語ると、その彼方に、共通の人間の心がほのぼのとみえてくることを期待していると、本書のはじめで述べています。

では、その中西ワールドともいえそうな古代の世界をかいつまんで探ってみましょう。

 

第一章 聖なる世界樹

多くの古代人は、この世界の中央に1本の大きな木があって、四方に張った枝のよって空を支えているのだと考えました。(例:フィンランドの叙事詩の「カレワラ」やアイスランドの「エッダ」)

2番目に、太陽がこの枝を伝って東から昇り、西へと移っていくと考えられていました。(例:中国「扶桑」、日本最古の神話・歴史物語の『古事記』の中に大阪地方で伝えられる巨木伝説や景行天皇の宮殿のケヤキの木)世界樹によって神が出現するという考えが、3番目の特性として確認できます。第1章ではまず世界のはじまりの世界樹について説明しています。

 

第二章 神がみの天地

ミヤホの神(別名:タカミムスヒ)は、いうまでもなく祖先の神さまで、すべての判断の根拠になっているのが祖先神であり、ここを根源としてできごとは正しく理解され、ここに古代日本人における祖先崇拝の強さを知ることができます。

ミヤホの神こそ中心の神ともいえますが、祖先崇拝はアジア一帯の信仰といわれています。アフリカ大陸の東のマダガスカル島はポリネシアの人たちが渡っていった島でアジアの信仰を伝えていますが、そこでは祖先が人間と連続の世界にいて、ひとところに集められているというのです(山口洋一著『マダガスカル―アフリカに一番近いアジアの国』)。沖縄の祖先の扱いも示唆的でアボリジニの考えも感動的です。

つねに祖先と相対化されて現在の人間がいる。しかも彼らには時間の概念がないといわれる。無時間の中にいれば、祖先の全世代も現在の世代も当然いっしょにいるのです。ミヤホの神はムスヒの神ともいわれ、「ムス」は生産を意味します。つまり祖先は収穫をも約束してくれる力をもっていたのです。

天照大神に代表される太陽信仰は新しい時代の産物のようで、古代日本における雷神の崇拝はことのほか大きいことがわかります。雷が放つ稲妻は、妻である稲に実りを与えるものでした。中国でも雷に、天なる帝と大地の神との聖なる結婚と考えられました。

漢字の「雷」の中の田は正字は「卍」で、雷という字は田の部分が卍を3つ書いた字でした。この卍の連続模様が中国の器に描かれていますが、田はギリシャのアレクサンダー大王の棺にもずらりと描かれていて、ギリシャからヘレニズム文化をとおってアジアにもたらされたものが、中国の卍模様、インドの仏像、寺院の卍模様です。

祖先神は万物の生産をつかさどるものとして信仰され、そしてこれに呼応する自然の最高神が雷神だったと思われます。風神もこれに並んでいるのですが、やがて宇宙を秩序化する神が登場してきたとき、それが太陽だと信じられました。

 

第三章 太陽の生と死

この章では、昇る太陽への信仰(例:夫婦岩)と、沈む太陽への信仰(大和(奈良)の二上山、「日想観」、能の「弱法師」の四天王寺の西門のことなど)について、仏教の西方浄土、シュメール人のギルガメシュ伝説、ケルト人の常若国(チルナノグ)についてなどが、説明されています。

 

第四章 宇宙の水(後記参照)

 

第五章 動物たちの宇宙

ネイティブ・カナディアンのトーテム・ポールに対し、日本では昔オオカミを真神(マカミ)といい聖獣とし、カナダの古層と一致する。オオカミ(大神)とよぶだけで尊敬の大きさを示している。クマをさすアイヌ語はカムイ、つまり神。英語のベアーも神という意味のようです。韓国語ではコムといい、日本語のカミと同語でしょう。カエルや蚕、蝶、ヘビなどについても神格について興味深く記述されています。

 

第六章 形のことば

ここでは、「蕨手文(わらびでもん)」や巴紋、渦巻き模様、セーマン(五芒星)とドーマン(格子縞)など、模様について述べられ、どれも古代人の永遠への祈り、生命が無事であることの願いがこめられています。

 

第7章は数の宇宙、第8章 時間、第9章 悲しみと祈り~こころの宇宙(一)、第10章 逆~こころの宇宙(二)、第11章 いのちの宇宙、第12章 ことばの宇宙と、テーマが展開されてさらに続きます。本書の終わりには、補章として「水とことばの宇宙」「永遠の宇宙」という見出しの題名でテキスト以外から二つの章が付け加えられています。ここにおいて、「宇宙水」という概念がでてきます。

 

補章一 水とことばの宇宙

ことばの原初に戻って日本人の認識を考えてみるとき、天の「あま・あめ」が雨の「あめ」と同語であることに気づきます。

 

“天はすなわち雨なのですから、天なる世界は水の世界でなければなりません。”(p171)

 

万葉集に「月の船」や日本書紀に「天の盤船(いはふね)」という表現があり、天上は水域であったと日本人は考えていました。天上の水域と同じものが、大地の周辺にあり、すなわち海があり、垂直軸にも水平軸にも久遠の彼方に水域をもつと考えていたらしいのですが、そうなると思い合わせられるものは、いわゆる「宇宙水」なるものです。

 

先史人は神がみの棲む水の聖域、それが海底にも天上にも考えられ、それを宇宙水とよぶことは正しいと中西先生はおっしゃいます。現代でもネイティブ・アメリカンのナバホ族は四方に海をもつという宇宙観をもちます。インドの「リグベーダ」の中でも、太初、宇宙は水であり、創造神は太初の原水から生まれたと語られています。アフリカのドゴン族の創世神話は、水の物語です。宇宙水の概念は、世界に普遍的にみられます。

 

“日本の天が雨であり海であるというコスモロジーは、広く原初認識に行き渡ったもので、宇宙水とよぶべきものの一端だったというべきでしょう。”(p179)

 

 

そして、「アマーギンの歌」という10世紀のドルイドの語っていたケルトの詩の一部が紹介されています。

   われは、海の上を吹き渡る風なり

という一行から始まり、われは蛙であるとか、太陽であるとか、ずっといいつづけます。“全編をおおうものは自己が大宇宙とイコールだという趣旨で、宇宙的な自己とよぶべき自己がここにみられます。”(p195)

 

“宇宙水にしても生命水にしても、それらは人間一般のものとしてあるのでなく、自己のものとして存在したというべきでしょう。それらを端的に示すものが「アマーギンの歌」でした。”(p196)

 

 

比較文学者、万葉学者と称される中西さんの文章は、まるで考古学博物館の展示室の陳列棚の前を歩いているかのように、いろいろな資料が関連付けられてでてきます。最後の補章で、全体をわかりやすく総括されてまとめられ、さらに補筆が加えられていますが、世界の古代人の認識の根底に共通するものは何かとたずねていくと、やはり水に行きつくということが本書を通してわかりました。また、永遠性を追求していくと、その背景になるのは連続性、循環、時間などがみえてきました。これらは水がもつ特性ともいえます。太古の人々は天空をながめて宇宙と自己の関係を直感的に感じとっていたにちがいないと思われました。

(2017/02/05)

 

 PSHIZ06

 

【23冊目】Data

    NHKライブラリー133

     古代日本人・心の宇宙

    著者 中西(なかにし) 進(すすむ)

    2001年4月 日本放送出版協会

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