Water Library 012

・・・水のほん“Water Library ”・・・

~・~・水にときめいて・~・~

 

 

今日は台風の中でこれを書いています。

8月と言えば青い海、今回は『海からの贈物』という本です。

 

作者アン・リンドバーグ(1906~2001)は、かの有名な史上初の大西洋単独横断飛行の成功者チャールズ・リンドバーグの妻で、世界の女流飛行家の中でも草分け的存在の一人です。第2次世界大戦ではヨーロッパに渡りフランス、ドイツで救援活動を行い、戦災を受けた各国の状況に関する報告書を出しています。6人の子どもに恵まれましたが、長男は1932年誘拐殺人事件で殺害されるという悲しくつらい出来事もありました。

 

『海からの贈物』は1956年に日本で新潮社から出版され、のちに文庫化されました。

この本には作者のそうした時代背景的な事柄や彼女の経歴にとらわれずに、淡々と日常が語られていて、普遍的な女の視線で貫かれ、むしろ新鮮な印象さえ受ける読み物になっています。

なぜ、読者にこんな共感や生活のよろこびを感じさせてくれるのでしょうか。

 

この書は、彼女自身の生活のあり方、仕事や付き合いの釣り合いの取り方を考えてみようと書き出したものですが、形式や環境が違っていても望んでいることはみんなあまり変わらないものが少なくなかったので、それを文章にまとめたのだそうです。

序には「私と同じ線に沿ってものを考えている人たちに対する感謝と友情を添えて、海から受取ったものを海に返す。」と記されています。

章のタイトルがまた独特で、「浜辺」「ほら貝」「つめた貝」「日の出貝」・・・と、貝の名前であらわされています。

 

 

<ほら貝>では、煩雑な生活、義務や関心から抜け出すことを提案しています。やどかりが抜け出たあとのほら(法螺)貝の簡素な美しさは私に答えを導いてくれると書いています。

まず、不必要なものを捨てる、簡易な生活がどんなに大きな精神上の自由と平和を与えるものか、何もない美しさ、などなど、やどかり同様に自由に貝殻を換えることのできる身軽さに、私も真似てみたくなりました。

 

孤独、一人の時間、自立、共同生活、男女の役割、などのいろいろな話題を貝の種類とともに関連させて文章をつづり、一昔前の女性も今の女性も、あまり違わず同じように悩んでいたんだなと感じさせます。また、最終章「浜辺を振返って」では、まだインターネットなどなかった時代であろうに興味深い文章が書かれています。

 

“世界の凡ての部分が互いに各種の関係で結ばれることになったために、我々は我々の心には入りきれないほど多くの人間のことを絶えず思っていなければならない。と言うよりも、――なぜなら、私は人間の心というものの大きさは無限であると考えるから、――現代の伝達の方法がいろいろな問題を我々に課して、それは人間の体力が堪え得る量を越えている。そして我々の心や、頭や、想像力が広い範囲にわたって働かされるのはいいことだと私は思うが、我々の体や、神経や、耐久力や、寿命はそれほどに伸縮自在のものではない。私の一生は、私の心を動かす凡ての人々の要求に行為によって答えるのには短か過ぎる。”(p124)

 

当時の人たちも時代の流れ、世代の変化とともに生活の空間と時間が広がったことを感じ取り、以前祖母や母の代では考えられなかったような困難が生じていて、解決するには何らかの形で妥協していると記述しています。

“私たちが背負わされた堪え難い重荷から、私たちはそうして絶えず逃れようとしている。”

 

私たちが現在を無視して、それで未来がよくなると言えるだろうか。私たち自身の問題が解決できなくて、世界の問題が解決できるだろうか。

 

結局、アン・リンドバーグは解決の糸口をみつけます。ちょっと長くなりますが、次のような哲学というか知恵というか本質を見抜いた文章が続いているので引用してみます。

“ここと、今と、個人というものは当(まさ)に聖者と、芸術家と、詩人と、それからこれは大昔から、女が特に関心を寄せていたものなのである。女は家庭という一つの狭い範囲で、その家庭をなしている一人々々認められる独自のものを、また、今という時間の自然の姿を、また、ここという場所の掛け替えのなさを決して忘れたことがない。そしてこれが生活の基本であり、そしてまたもっと大きな、多数とか、未来とか、世界とかいうものを作っている要素なのである。我々はそれを無視することはできても、それなしではすまされない。こういう要素は、川になって流れる水の滴(しずく)であり、生命そのものの本質であって、それが現在では無視され勝ちであることに抗議するのが、女である私たちに与えられた任務であるかも知れないのである。”

 

 

この本に出会ったころ、まだ実家の母が元気で、8月の終わりの私の誕生日に母と小学生だった末の娘を連れて、バスに乗り真鶴海岸まで出かけてみました。

黒い溶岩状のごつごつした岩のそばで、暑い太陽の下、白いハマユウやオレンジ色のスカシユリなどが涼しげに海風に揺れていました。断崖の階段を下りて、波打ち際で生き物を観察したり水に戯れたりして、また上ってバス停に戻るときには息切れがして頭痛までしてくる始末でした。60代の母のほうが体力があって、私を見て微笑んでいました。

 

ちょうど、この本をバックに入れて持っていたので、母にこのすてきな本のことを話しました。本に出てきた女性の生き方のことや他愛のない日々の暮らしの出来事などをしゃべりながら、おんな同士3世代、脈々と血筋を引く者が同じような顔つきで、大中小と並んで歩くというたのしいひとときでした。人生のうちにはそんな時間は何回も訪れるものではないのだと、いまあらためてこれを書きながら気づきました。

 

この本の最後にある「私たちは今ある喜びと、ここにある平和と、自他にある愛を再び取返して、地上にある神の王国はそういうもので作られているのである。」という言葉を読み返して、しみじみ母の笑顔の瞬間がよみがえってきました。

晩夏の午後の水の風景の一場面を思い出しながら、本書の締めくくりの言葉の「波音が私の後ろから聞えてくる。忍耐、―信念、―寛容、と海は私に教える。」を、年老いてやさしい母、そしてまた地球という名の母の声のように受け止めています。

(2016/8/23)

 

 

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【12冊目】Data

   海(うみ)からの贈物(おくりもの)

 著者 アン・モロウ・リンドバーグ

 訳者 吉田(よしだ)健一(けんいち)

   昭和42年7月 新潮文庫

 

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