017.むなかたさんじょしん

・海に関わる神さま

 宗像三女神(むなかたさんじょしん)

      別名:宗像三神(むなかたさんしん)

                  別名:道主貴(みちぬしのむち)


 

 宗像三女神さまは「延喜式神名帳」にある筑前(ちくぜん)宗像郡(むなかたぐん)宗像三座として祀られていると記されおり、筑前宗像郡一帯を治めた海人(あま)の豪族である「宗像(むなかた)君(のきみ)」または「胸形(むなかた)君(のきみ)」が「三前(みまえの)大神(おおかみ)」さまとお呼びし、お祀りしていた女神さまです。筑前宗像郡宗像三座とは現在の宗像大社のことです。

 

 宗像大社は3つのお宮=3柱の女神さまから構成されています。

福岡県宗像市田島にある総社である辺津宮、大島の中津宮、沖ノ島の沖津宮です。

青柳種麿の記した瀛津島(おきつしま)防人日記によると、「宗像大神が天降り 青い球を沖津宮に、紫の玉を中津宮に八咫(やたの)鏡(かがみ)を辺津宮にそれぞれご神体として納め祀ったので、身形郡(みなかたぐん)といい 後に宗像(むなかた)に改めた。」とあります。

 

 宗像三女伸さまは、本来この宗像(むなかた)君(のきみ)一族の氏神さまとして崇敬されておりました。筑前(ちくぜん)宗像郡(むなかたぐん)の地は古代から朝鮮半島・大陸と通じており、交流が盛んに行われてきました。この古代の重要な海路を「海北道中(かいほくどうちゅう)」といいます。特に大島・沖ノ島は日本と朝鮮半島・大陸を結ぶ最も重要な対外拠点であり、航路の要衝でした。下関・大島・沖ノ島・対馬北端・韓国の釜山はほぼ一直線上にあります。このことから、文化の中継地あるいは防衛の拠点にご祭神をお祀りしたと考えられています。

また、両島は海上の道標(みちしるべ)として重要な役割を果たしてきました。

そのため、航海の神また同時に海からやってくる諸々の災いを遮る海洋の守護神・国家の守護神として早くから大和王権に取り込まれ、崇敬されたと考えられます。ただし、主には福岡・壱岐・対馬のルートが利用されていたはずだから、上記のルートはむしろ沖ノ島が玄界灘のほぼ中央に位置する孤島であることから考えて、宗教的意義の方が深かったのではないかとする意見もあります。

 

 「大綿津見神さま」は海という空間全体の神さま、「綿津見三神さま」と「住吉三神さま」(底津綿津見神さま・底筒之男命さま、中津綿津見神さま・中筒之男命さま、上津綿津見神さま・上筒之男命さま)は底・中・上という海の深さによって3つの区分に分けられる神さまでした。

このように3つの区分で考えると宗像三女神さまは海岸=辺津宮(市寸島比売神(いちきしまひめのかみ)さま)と海岸に近い島・大島=中津宮(湍津姫神(たぎつひめのかみ)さま)、それに沖合の島・沖ノ島=沖津宮(田心姫(たごりひめ)神さま)に祀られる形で海面に水平な距離によって分けられた3柱の神々さまということになります。

古代の人々は海を単に「海」として認識していたのではなく、もっと深く空間認識されていたことに驚かされます。

また、「綿津見三神さま」は海という領域の神さま、「住吉三神さま」は航海や船に関係深い神さま「宗像三女神さま」は漁師や船乗りが自分の位置を確かめるための目印となる島に祀られる神さまというようにそれぞれ役割があります。

単純な海神さまという神性があるのではありません。

 

 海神さまが女神さまとされたのは、縄文時代に遡る古い海神信仰のなごりと考えられます。日本最古の信仰形態を今に伝える沖縄でも海神さまは女神さまであり、男神さまである神さまと一対をなしています。海の向こうに母の国、常世の国(ニライカナイ)を見るのも同じ発想からきています。

「海」は「生み」=「産み」とも読み替えることができます。命を産み育む=「母」に通じていると考えることができます。

 

 それではどのようにして、宗像三女神さまがお生まれになり、なぜ宗像の地にお祀りされているのでしょうか。

古事記、日本書紀によると、父神さまである伊耶那岐命(いざなぎみこと)さまから海原の支配を委ねられた速須佐之男命(はやすさのおのみこと)さまはその命に背いて、母神さまの伊耶那美命(いざなみのみこと)さまがいらっしゃる根之堅洲国(ねのかたすくに)に行きたいと泣きわめき続けていました。そのために、伊耶那岐命さまのお怒りになり、速須佐之男命さまを天上の世界から追放されます。

その経緯を姉神さまの天照大御神さまに説明しようと、高天原に上って行きますがその態度はあまりにも荒々しいものでした。その様子を見た天照大御神さまは、高天原を奪いに来たかと疑いをもたれ、男装し武具を携えて迎え撃つ準備をされます。そこで速須佐之男命さまは自分が高天原を奪いに来たのではないと自分の心が潔白であることの証明として「誓約(うけい)」をすることにします。

その誓約とは女神さまを生んだら「濁心(きたなきこころ)」、男神さまを生んだら「清心(きよきこころ)」というものでした。

それぞれの神さまは天安河(あめのやすかわ)を中に置いて誓約をしました。

 

最初に天照大御神さまが速須佐之男命(はやすさのおのみこと)さまの持ち物である十拳剣(とつかのつるぎ)を三段(みきだ)に折って天真名井(あめのまない)の聖水を振りすすぎ、噛んで吹き棄てました。その息吹の狭霧(さぎり)から生まれたのは宗像三女神さまでした。

 

次に速須佐之男命さまが天照大御神さまの持ち物である八尺瓊之五百御統(やさかぬのいほつのみすまる)を天真名井の聖水を振りすすぎ、噛んで吹き棄てました。その息吹の狭霧(さぎり)から生まれたのは5柱の男神さまでした。

 

天照大御神さまと速須佐之男命さまのそれぞれが神々さまをお生みになられた後、天照大御神さまは「後から生まれた5柱の男神さまは我が物から生まれたから私の子である。先に生まれた3柱の女神さまは速須佐之男命さまの持ち物から生まれたので、速須佐之男命さまの子である。」としました。

 

速須佐之男命(はやすさのおのみこと)さまの持ち物である十拳剣(とつかのつるぎ)から三女神さまがお生まれになったことにより、この三女神さまは速須佐之男命さまの子とされましたが、同時に速須佐之男命さまに剣を振るう意思のないこと、つまりは濁心(きたなきこころ)=高天原を奪うという邪心は無いことの証明になりました。

そのため、速須佐之男命さまは「我が心清く明(あか)し。故、我が生める子は手弱女(たわやめ)を持つ。」と言われます。

古事記・日本書紀では、なぜ三女神をお生みになられたことが心の清明の証明になるのかが書かれていません。このことの理由としては、三女神のお名前に鍵があるように思われます。宗像三女神さまのお生まれになった順番やお名前ですが、古事記と日本書紀では違っています。

古事記では最初に「多紀理毘売命(たきりびめのみこと)またの御名(みな)は奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)、次に市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、またの御名は狭依毘売命(さよりびめのみこと)といふ。次に多岐都比売命(たきつひめのみこと)。[三柱]」となっています。

そして「その先に生(あ)れませる神、多紀理毘売命は胸形(むなかた)の奥津宮に坐す。つぎに市寸島比売命は胸形の中津宮に坐す。つぎに田寸津比売命は胸形の辺津宮に坐す。この三柱の神は胸形君がもちいつく三前の大神なり。」と記述されています。

 

日本書紀では三女神さまをそれぞれ田心姫(たごりひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、市杵島姫(いちきしまひめ)と記しています。一書(あるふみ)では瀛津島姫(おきつしまひめ)、瑞津姫、田心姫と順序が変わります。そして天照大神(あまてらすおおかみ)が三女神さまを筑紫州(つくしのくに)へ降臨させ「汝(いまし)三神(みはしらのかみ)、宜(よろ)しく道中(みちのなか)に降(くだり)居(ま)して、天孫(あめみま)を助(たす)け奉(まつ)りて、天孫に祭(いつ)かれよ。」と言われたと記されています。

このように宗像三女神さまは天照大神さまの神勅(神さまのご命令)により、海北道中に降臨されました。そして海上の道の守護神として、天孫である天皇=大和王権に厚く崇敬されることとなりました。

またこの神勅は宗像大社の3つのお宮それぞれの拝殿に神勅額として三女神鎮座の根幹として掲げられています。

 

別の一書(あるふみ)では「瀛津島姫命、湍津姫命、田霧姫命を葦原中国(あしはらのなかつくに)の宇佐島(うさのしま)に降らせ、海北(うみきた)の道の中に坐す道主貴(みちぬしのむち)、筑紫の水沼君(みぬまのきみ)らが祭(まつ)る神である。」と記されています。

「湍津姫」さま以外は古事記と日本書紀の本文や一書(あるふみ)の間で混乱があることがわかります。このようにそれぞれに神系、ご祭神名が異なりますが、誓約によってお生まれになったことに変わりはございません。ここに記される別名の「道主貴(みちぬしのむち)」ですが「貴(むち)」とは神さまに対する貴(とうと)い呼び方です。このことから「貴い道の神さま」という意味であることがわかります。

「貴(むち)」のつく神さまは伊勢の神宮の「大日靈貴(おおひるめのむち)」(天照大神)さま、出雲大社の「大己貴(おおあなむち)」(大国主命)さまのみです。宗像三女神さまがどれだけ崇敬され、お祀りされた神さまであるかがここに表れています。

また、水沼君(みぬまのきみ)とはどのような一族なのでしょうか。

宇佐島(うさのしま)は大分県ではなく沖ノ島と考えると、お祀りされた宗像君(むなかたのきみ)とは氏族が異なります。

景行記と雄略記にしか姿を見せない筑後の三瀦(みぬま)が本拠地であろう一族の水沼君ではないかと考えられます。これは憶測ですが、豪族同士の争いの中で宗像君に水沼君が滅ぼされる、あるいは吸収されるようなことがあったのかもしれません。

 

 宗像三女神さまのそれぞれの神さまのお名前の意味やお働きにつきましては、この後に記してまいります。そこで、先ほどの速須佐之男命さまの心の清明の証明の理由が明らかになると思います。

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